社長のひとり言2007年

第21回 「マッサージとマイホーム」

わたくし事で大変恐縮ですが職業がらパソコン(CAD)に向かって丸一日を過ごすことも多いので1ヶ月に約1回知り合いのマッサージ師さん(以下H氏)にお願いしてマッサージをしていただき、肩や腰の凝りをほぐしてもらっています。それが縁でそのH氏の御自宅のリフォームの設計・監理の依頼を受け、約1ヶ月間に及ぶ大改造が先日やっと完成しました。

外壁や屋根、さらには床下の土台の補強工事など構造躯体の梁や柱を除いてほとんどが新しい物に交換したわけですが、その工事において私が大きな衝撃を受けた事が一つありましたので、今回はその話をしてみたいと思います。

築20年を経過している木造家屋の場合、大抵構造躯体である柱や梁や土台は日本独特の湿気により、反(そ)ったり、割れたり痩せてスカスカになってしまっているものが多いのです。しかも問題なのは現行の建築基準法で換算した場合に、耐力壁が不足したり金物が適切に取り付けられていないことが多く、結果的に補強工事をしなくてはならなくなり、予想以上の出費になってしまう例もしばしばあります。

話しをもとに戻しますが、私がそのH氏の住宅のリフォームの監理をしていて驚いたのは、築20年以上も経過している住宅なのに木材がほとんど劣化していなく、むしろ木材と木材のかみ合せがより強固になって狂いがなく耐力壁として適切に作用していたことです。

この事をH氏に話すとH氏は「ニヤリ」と笑って私にこう言いました。
「佐藤さん、笑わないで聞いて下さいヨ 」
「『家』にもマッサージと同じ『ツボ』があると私は思っているんです。つまり家も人の体もまったく同じで肩凝りのツボを押せば肩凝りに効く様に、家で言えば壁には壁のツボ、屋根には屋根のツボがあるんです・・・」
その話を聞いた時、私はいつも以上に肩に凝りを感じてしまいました・・・

なんでもH氏の今はもう亡くなられたお父様は一級建築士で約20年前にこの住宅を建築する際に今ではあたり前になっている壁内通気や外断熱工法を取り入れていたそうです。さらにその当時ではめずらしく木造2階建てなのに構造計算も行ったおかげか現行の建築基準法と比べても遜色のない耐力壁の壁量を確保しています。

H氏が言いたかった「ツボ」というのはあたえられた建築物(ハード)を適切にメンテナンスする・・・ということらしいのです。プロ野球のピッチャーが肩やヒジを入念にマッサージするのと同じで例えば、屋根の雨樋に枯れ葉が溜っている様では雨水が適切に排水されず、いつまでも残り、ついには湿気で樋が劣化してしまうのでそれを取り除く・・・つまり家にマッサージをしてあげる事が必要だと言うのです。

「マッサージ」や「ツボ」という言葉で家のメンテナンスを表現するあたりはいかにもマッサージ師さんらしいですし家も人も手を掛けて世話をすれば劣化や痛みを抑えられるという点で同じだという発想はとても共感できるものでした。

さて、今工事監理中の物件、明日はどこの「ツボ」をおしてみようかなぁ。

第20回 「今の日本の住宅事情を考える」

先日、現在の住宅事情を考えさせられる事がありました。
長年お付き合いしていた畳業者さんとタイル業者さんが、残念ながら廃業されたのです。
理由は2つ。
1つは職人さんの高齢化によるもので、身体がついていかない為リタイヤするとのこと。
2つ目は仕事が極端に減ってこれ以上続けていけない・・・というものでした。

確かによく考えてみると私が今手掛けている住宅で和室のある間取りは約2割強しかありません。たとえ畳があったとしてもそれは和室ではなくタタミコーナー的な存在で、4.5帖くらいの小さなものが多い傾向にあります。その傾向はここ2、3年で急速に強くなった気がします。
畳業者に限ったことではないのですが、職人さんの高齢化に伴い畳の良さを伝える(営業する)ことが出来なくなってきていることや、現実問題、畳の上で寝るよりもフローリングでベッドで寝る事が多くなっている今の生活スタイルの変化が挙げられるのではないかと思います。

タイル業者に関しても同様のことが言えると思います。
昔はお風呂と言えばタイル貼りでしたが、ユニットバスやシステムキッチンの台頭により住宅においてタイルを貼る部所がなくなってきました。せいぜい玄関ポーチに数枚タイルを貼る程度です。

私個人的には、畳の上に布団を敷いて寝ていますので和室が好きですし、ユニットバスよりタイル貼りのお風呂の方がオリジナル性を追求できて好きなのですが、最近のクライアントと話をしていると、メンテナンスの観点からユニットバスを選ぶことが多いですね。

そんな中、時代とまるで逆行する様な面白い依頼が1件ありましたので、お話したいと思います。 その依頼はお風呂場、洗面所、キッチン(水廻り)以外のすべての床を畳敷きにして欲しいというもので、もちろん廊下やホールも畳敷きです。クライアントからよくよく話を聞くと、書道教室を開いている方で、小さい頃から正座をして物事をする癖がつき、自然と畳があるのが当たり前になった・・・というのです。
その方はスリッパを履く習慣がないので、どこでも素足で歩ける家にする為に考えた結果、床は全て畳がいいという結論になったとのこと・・・ 斯くして全部で48枚の畳が敷込まれた「畳ハウス」が完成した訳ですが、畳業者さんの廃業と同時期というなんとも皮肉な結果となりました。

職人さんの高齢化に伴い、これから増々システム化ユニット化された住宅が多くなる日本の住宅事情を考えると、「建築」という物作りとしての楽しさが見失われ、ただの金儲けの手段の一つに成り下ってしまう気がしてなりません。
住宅に限ったことでなく、物作りという行為全てにおいて、いつまでも職人の「業(わざ)」というものを守り続けてもらいたいと願うのは私だけでしょうか?

第 19 回  「終の棲家」(ついのすみか)

今、グループホームという介護施設の設計をしています。認知症や手足の不自由なお年寄りを家庭的な雰囲気で介護する施設で、全国に約1200の事業所があるそうです。 そのスタッフの方から介護のあり方やお年寄りに必ず来るであろう「死」というものへの向き合い方について話を聞くうちに、私が設計している住宅(自宅)で満足した死を迎える人たちはいったいどのくらいいるのだろうか・・・と考える様になりました。

調べてみたところ、日本で1年間に亡くなる約100万人のうち自宅で最期を迎える人は2割に満たない・・・というデータがあります。昔に比べると病院が整備されたことに起因するところが大きいそうですが、病院だけでなく最近は、特別養護老人ホームや老人保健施設などの介護施設で亡くなっている方が増えているそうです。

度々、テレビなどのマスコミで老人の孤独死についての報道がされます。もちろんどんな形であれ「家族」に看取(みと)られ、幸せな気持ちで死んでいくことが理想ではありますが、私はこの孤独死の中でも、もし自分が「終の棲家」と決めた空間で死を迎えることができたならば、ある意味「満足死」に値するのではないかと思います。

グループホームのスタッフの一人が非常に印象に残る事を言っておりました。以下にその言葉の一部を示します。
『理想は自宅で家族に看取られて死を迎える事ですが、世の中にはいろいろな事情でそうすることができない人々がたくさんいます。ですから我々はその方々に最期を快適な空間で迎えてほしいと願っています。「あぁ、ここなら満足した死が迎えられる・・・」という気持ちにさせる建物がほしいのです。その様な建物の設計をお願いします』
これはある意味究極の設計依頼かもしれません。

世界的に有名な建築家「ル・コルビュジエ」でさえ、最期は6帖くらいの小さな小屋を「終の棲家」としたそうです。つまり「終の棲家」に求めるものは、大きさや規模、形といったハードの問題ではなく、建築のもつ内面性(ソフト)の問題ではないでしょうか?

今回はグループホーム(介護施設)でしたが、普段、住宅の設計をする時も、そこに住まわれる方が「終の棲家」と思っていただける快適な空間を提供することが我々建築士の使命かもしれません。
何をもって快適な空間と定義するかは人それぞれ答えがちがいます。数学や物理と違って答えのない分野がこの「建築」であり、答えを探してのめり込んでしまう、そんな魔力がありますネ~。

第 18 回  「セカンドハウス(別荘)について考える」

今、八ヶ岳近辺のセカンドハウスの設計をしています。設計の唯一の要望は、『自然と一体になれる感じのものにしてほしい・・・』というもので、それ以外はありません。

ライアントは東京にお住まいの方ですが、その方の物の考え方が非常に新鮮でとても私にとって刺激のあるものでしたので、少し文章化してお話ししたいと思います。

その方(以下S氏)との出会いは、弊社HPを御覧になってメールでアクセスしていただいたのが始まりです。
何度かメールでやり取りをした後ちに実際にお会いすることになり、東京の御自宅にお伺いしました。

セカンドハウスを計画されている方でしたので、当然、マンションか一戸建て住宅にお住まいかと思っていましたが、S氏は賃貸のアパートにお住まいで、会うなり開口一番「セカンドハウスの設計を依頼する人がアパートに住んでいるとは思わなかったでしょう・・・」と言われ、驚かされました。
なぜならまったくその通りであり、考え方によってはセカンドハウスではなくてこれは『メインハウス』ではないか・・・と思えてしまったからです。
(ちなみにこの文章はS氏の承諾を得た上でHP上に発表させていただいております

S氏は続けてこう言いました。「私は東京で働き、東京に住んでいますが、東京にマンションを買ったり一戸建てを建築するつもりはまったくありません」「なぜならここにいる私は本来の私の姿ではないからです。セカンドハウスのある場所(八ヶ岳)でこそ素の自分でいられると思うのです」と・・・。

正直、随分と宗教じみたことを言う方だなぁと思いましたが、話しを聞いていくうちに、八ヶ岳の土地は3年前にすでに購入済みで、今回の建築は10年間貯めた現金でお支払いをされる予定でローンは組まないことなど云々・・・。
これはかなり用意周到、計画的に進められた考えであることがわかってきました。
自ずとS氏の話しにも説得力が出てくるから不思議なものです。

S氏いわく、八ヶ岳には永住するつもりはなく、あくまでも生活の拠点は東京であるので今回の建築物はセカンドハウスだと・・・(そうなればやはりセカンドハウスと言えなくもないなぁ~)
さらにS氏は続けます。「私は無趣味で休日にどこかに出かけるということはまったくしませんでした。毎日、家と会社を往復しているだけの人生ということになります。これでは『生活の為に仕事をしている』のではなく『仕事の為に生活をしている』様なものだと考える様になった」と。

「別荘」といえば昔は一部の裕福層の所有するものでしたが、生活スタイルが多様化する現在、そのあり方は変化しつつある様です。一般のサラリーマン世帯が『自己表現の一部』もしくは『脱日常の方法』として選択する時代になったのかもしれません

又、将来永住する為にセカンドハウスを購入される方も増えてきていることも事実です。
とは言っても別荘なんかとても買えないョ・・・とお考えになる方も多いでしょう。何も別荘にこだわる必要はないのです。人はそれぞれこだわりを持った部分があって、それが例えばゴルフであったり、車であったり、バイクであったり、家庭菜園でも何でも良いのです。

そういえば、以前にも車のガレージが欲しいから家付ガレージを建ててしまった方がいらっしゃったことを思い出しました。その方も普通のサラリーマンでしたが、高級外車を所有されていて、日常と非日常のメリハリをその車でつけていた様に思えます。『車を家のどこからも眺められる家・・・』これがコンセプトでしたが、今回は『大自然をどこからも満喫できる家』で、見えるものは違えど、家を建てる根本的な目的は一緒だなぁと気付きました。

今回はたまたまセカンドハウスの依頼でしたが、もちろん普段は居住用として設計を依頼してくる方が多いわけで、その方々に対していかに建築士としてクライアントの要望を聞き出しそれを形にしていけるか・・・この使命(ちょっとかっこつけすぎ?)を改めて肝に銘じてがんばっていこうと考えさせられる一幕でありました。

第 17 回  「地球環境」と家のちょっといい関係

地球環境問題についていろいろと騒がれている昨今、我々の身近にある住宅『家』についても、オール電化や古材を再利用した住宅など、様々な試みで環境問題に対応しているものがあります。それはそれでとても大切な事であり、これからも大いに活用していくべきだとは思うのですが、先日友人の新築パーティーに招待されて行った時に、少し考えさせられる出来事があったので今回はそれをテーマに少しお話したいと思います。

そのパーティー当日は梅雨入りしたばかりでとてもじめじめとして暑く、立っているだけでも汗が滲み出てくる天気でした。
友人は得意気に床にはどこどこの希少な無垢材を使ったとか、壁にはドイツ製のしっくい材を使って調湿している・・・だとか言って説明をしてくれたのですが、私にはまったく感性にピンとくるものがなかったのです。確かに見るからに高価な材料であることはぐらいは素人でない私には分かりますが、「すばらしい」と思えることはなかったのです。それはなぜか?

皆さんは俳句などで使われる季語で『風薫る・・・』というフレーズを耳にしたことはありませんか?
これは「夏」の季語で「初夏のすがすがしい風がゆるやかに吹く」という意味です。風鈴文化に見られる様に、古くから日本人は「風」というものをうまく生活に『演出』してきました。

ところが最近はオール電化に最新のエアコンを装備して窓を閉めきり、その一方で調湿作用のある壁や天井を配置し、さらには室内の換気を促す換気システムをセットするという自然環境を排除した矛盾に満ちた生活スタイルが主流になってきました。

もうお分かりだと思いますが、私が友人の家で「すばらしい」と思えなかった理由は、この「風(自然環境)」を感じることが出来なかったからです。とても暑い日でしたから家の窓を閉めエアコンを使い、家の中はとても快適でしたが、目を外に向ければ室外機からは多量の熱風が吹き出され外気温をさらに上げることになっていた訳です。

友人の家はとてもスタイリッシュでしたが、窓の位置が悪く風の通り道が出来にくい間取りだったと思います。(特に最近の住宅は窓が小さくなる傾向にある様です)

これから「家を建てよう!」と思われている方は、オール電化で満足せずに是非この「風の通り』を考えた(私はこれを風道(かぜみち)と呼んでいます)窓の配置と間取りを取り入れる様にして下さい。これだけで室温が2~3℃は下がるはずです。それによってエアコンの電気代も節約できます。

風(自然)を感じる住宅=地球環境にやさしい家 という方程式が成り立つ・・・これが私の持論ですが、皆さんはどうお考えですか? 今年の夏は「クールビズ」ならぬ「クールハウス」でいきましょう!(笑)

次回は「セカンドハウス(別荘)について考える」です。

第 16 回  『マイホームは「住宅メーカー」と「工務店」どちらで建てる方が得か・・・』

「さあ、家を建てよう!」と思った時、あなたはまずどこに相談しますか?

一番手取り早いのは、ハウスメーカーの立ち並ぶ住宅展示場に行って、営業マンと資金やら仕様の話しをすることでしょう。
場合によっては購入した土地が「建築条件付き」で、施工者が一定の工務店に決まっていたりすることもあるでしょう。
今回お話しする中で重要なポイントは、ハウスメーカーと工務店で建てる場合のメリット・デメリットを明確にし、それを理解した上で施工者を決定する指針を示すことであります。

何を隠そう、私はハウスメーカーに5年程在籍した経歴を持ち、又その傍ら父親が工務店を経営していた環境で育ち、双方のメリット・デメリットは否でも体に染みついてしまいました。
そんな体験から赤裸々に住宅購入を検討されている皆様にアドバイスをしたいと思います。

まずハウスメーカーのメリットですが、営業・設計・工事と分類されていて、それぞれがよく教育されて対応がよく、契約から引渡しまでそつなくこなします。つまり建築に対してまったく知識のない素人でも、フローに乗ってしまえば安心して任せられる・・・ということが言えると思います。
又、日本人は他国と比べても無類のブランド好きですから、テレビコマーシャルでやっている「○○ハウス・△△ホームで建てた家」ということで満足する人がいることも事実です。
さらに大手メーカーは工務店に比べて倒産する危険性も少なく、アフターサービスは永く受けられる・・・ということもメリットの一つに挙げられる点だと思います。

デメリットとしては、工務店に比べて価格が割高であるということと、プランの自由度が低いということでしょうか。
生産性のない営業マンを多人数かかえているメーカーにとっては、その分の経費を建物価格にオンせざるを得なく、又、長期の保障をする点からプランもある程度限定しております。
逆にこの点が工務店のメリットに成り得るところであります。営業マンなどがいなく、又コマーシャル経費などもかかっていない為、純粋な建物単価を提示できると思われますしプランもある程度自由です。

ただデメリットとしては、大工の親方や工務店の社長かが契約から引渡しまで対応しますから、資金的な話しや、工事内容があいまいになりがちで、最終的にオプション金額など、お金の話しでトラブルになることが多いのも見逃せません。もちろんすべての工務店がそうだと言っているのではなく、きちんとした体制でやっている所もあるとは思いますが・・・。

そしてそのハウスメーカーと工務店の中間に位置するのが、建築設計事務所だと思います。
最初にお話した内容で「さあ、家を建てよう!」と思って建築設計事務所にまっ先にやってくる人も少ないのですが、家を建てる為の相談窓口の選択肢として「建築設計事務所」も覚えておいて下さい。
設計事務所のメリットは工事自体は行わない為、第三者的に客観的に工事物件を監理することができ、是正的があれば施主にかわって的確に指示できる点や工事予算についても細かくアドバイスをしてくれる点であります。ローコスト住宅の為の手法も心得ており、無駄にお金をかけることなく理想的な予算で工事を遂行できます。

デメリットは・・・ありません。と言いたいところですが、強いて挙げれば、設計者との人間的な相性でしょうか。ハウスメーカーで言えば、その設計者は営業マンであり、設計担当であり、工事監督であるわけで、プランや予算の打合せから引渡し、さらにはアフターサービスまで何十年という永いおつきあいになるわけですから、相性が合うことが必然的に重要になってくると思います。
大抵の設計事務所は、仮プランの作成は無料でやってくれると思いますので、興味のある設計事務所を何社か比較検討してみてはいかがでしょうか?きっとハウスメーカーや工務店とは違った何かが見つかると思いますヨ。

次回は「地球環境と家のちょっといい関係」です。

第 15 回  建築紛争(トラブル)について

今回は、弊社にも相談の多い建築行為上のトラブルについて、代表的な内容から2つほど事例を挙げてお話ししてみたいと思います。 特にこれから新築をお考えになっている方は必読です。(トラブルに巻き込まれない為にも・・・) 。

一つ目は、地盤調査とそれに伴う地盤改良工事、さらには、隣接する土地との高低差の処理の方法です。
地盤調査というのは、わかりやすく言うと、建築行為をする土地の地盤が建物を建てた後に沈下しないで建物を支持するだけの強度があるかを調べるもので、仮に「強度不足」と判定されれば、何かしらの地盤改良工事をしなければなりません。これには柱状改良や表層改良・・・etc といった感じにいろいろあります。その方法については建築士が判断し、その方法を決定します。現在は建物を保証する協会が自ら地盤調査をするくらい一般的になっていますが、もしやっていないところがあるのならば、大至急調査をされることを勧めます。

今回のトラブルは、調査はきちんとして、かつ、改良工事をしたのにもかかわらず、建物が不等沈下してしまった案件を紹介します。

この敷地は隣接する土地との間に高低差があり、擁壁を造って造成された土地であります。擁壁をつくる時に盛土をした訳ですが、その後、建築行為をするにあたり、杭を打って柱状改良をしたのですが、その支持杭の下端が支持層(基の地盤)に達しておらず、経時変化と伴に盛土部の地盤が沈下し、その支持杭もいっしょに沈下してしまったことによる不等沈下の例です。
結果的にこの分譲住宅は不等沈下をとめることができず、ビルダー側がこの家を買い戻し、建物を解体して改めて杭を打ち直す・・・といった大がかりなトラブルになってしまいました。

この事例からの教訓は、ただ地盤改良をすればいいというものではなく、その施工内容をよく吟味することが大切だということです。

二つ目は、建築基準法では定規されていないもので、民法上のトラブルになってしまう事例です。

建物の配置を決定して工事にとりかかったわけですが、建築当初は隣地境界から1m離して建物を建てて、工事途中で出幅30cmの出窓を追加して工事が完成します。完成後、出窓(正式には窓面)から隣地境界までは70cmしかありません。民法(第235条)では、離れ1m以下の窓には目隠しパネルを取り付ける様規定されています。この場合は建築士が民法上の説明をクライアントにしなかった事に依る単純なミスで、隣家から指摘を受け、結局、せっかく出窓を設けたのに窓に目隠しパネルを付けなければならなくなり、『何の為に出窓をつけたのかわからない・・・』となってトラブルになった例です。

ただ、この例は、お互い様・・・といったところもあり、既存の建物ですら離れ1mを切っている家も多く見受けられ、今の住宅事情を考えればやむを得ない所もあります。
ただ、「民法第234条」は「隣地境界から建物までの距離は50cm以上離さなければならない・・・」と規定されているので、少なくとも建物本体は有効で50cm以上は離す様配置をすることが必要です(防火地域を除く)。

この他にも様々なトラブルがありますが、この様なトラブルに巻き込まれない為には、信頼できる建築士や工務店と密に打合せをすることが必要だと思います。
かと言って、せっかくの夢のマイホームを戦々恐々と考える事はありません。
トラブルになる基にはいくつかのポイントがあるのです。
そのポイントをしっかりおさえておけば大丈夫です。
弊社タクト設計事務所に御連絡いただければ、あなただけにこっそりお教えします。
一つ言えるのは、誰もトラブルを起こしたくて起こしている人はいない訳で、ちょっとした勘違いや説明不足、判断不足で起こる事がほとんどなのです。

次回は『マイホームは「住宅メーカー」と「工務店」どちらで建てる方が得か・・・』です。